オフィスに行くのはいいことなのか?
オフィスに行くべきか、家で働くべきか。この問いは「どちらが集中できるか」で語られがちだが、本当に効いてくるのは生産性よりも心理面だと思っている。私自身、出社すると消耗する部分と、明らかに救われる部分の両方がある。今回はその雑音とメリットを、なるべく切り分けて整理してみる。
オフィスの「雑音」
出社して気が削がれるものの多くは、情報としての質が低い雑音だ。
- 誰かの噂話。事実かどうかも怪しい話が、声の大きさだけで耳に入ってくる。
- 隣から聞こえてくる成功話。あの案件がうまくいった、昇進した、という断片。
- それを聞いて生まれる比較と嫉妬。自分は遅れているのではないか、という焦り。
- 焦った結果、かえってやる気が落ちる。
ここで大事なのは、これらが「自分で選んでいない入力」だという点だ。検索して取りに行った情報ではなく、たまたま物理的に近くにいたから流れ込んできただけ。情報としての価値は低いのに、感情は大きく動かされる。受け取るコストに見合わない入力、と言ってもいい。
オフィスの「メリット」
一方で、出社して確かに得られるものもある。
- 声をかけられる。雑談でも用件でも、人から認識されているという感覚は安心につながる。
- 不安がやわらぐ。一人で抱えていた懸念が、誰かと短く話すだけで軽くなることがある。
- 弱いつながりの維持。普段は接点のない人とのちょっとした会話が、あとで効いてくる。
これらは在宅だと意図的に作らないと生まれにくい。黙っていても受け取れるのがオフィスの利点だ。
雑音とメリットは、同じ通貨ではない
ここを混同すると判断を誤る。雑音とメリットを単純に足し引きして「出社は得か損か」を一つの数字で出そうとしても、うまくいかない。性質が違うからだ。
整理すると、入力には二つの軸がある。
- その入力は、自分で選べるか(コントロールできるか)
- その入力は、自分の行動につながるか(使えるか)
噂話や他人の成功話は、選べないし、たいてい行動にもつながらない。ただ感情を消費するだけだ。一方、声をかけられる・不安が和らぐ、は選びにくいが、確実に自分の状態を良くしてくれる。つまり「選べない入力」の中に、害になるものと益になるものが混ざっている。問題は出社そのものではなく、選べない入力をまとめて浴びていることのほうにある。
読者にとっての実用的な結論
だとすれば、やるべきは「出社するかしないか」の二択ではなく、入力の設計だ。
- 益になる接触は、意図的に取りに行く。出社する日を、雑談や相談をしたい日に合わせる。なんとなく行くのではなく、目的を持って行く。
- 害になる雑音は、距離を取る。噂や成功話が流れてくる場では、それを評価ではなく情報として処理する。「あの人が昇進した」は、自分の価値の話ではなく、ただの事実の一つだ。
- 比較は、感情ではなく材料に変換する。誰かの成功が気になるなら、何が効いたのかを観察する対象にする。嫉妬で止まると消耗だけが残るが、要因の分析に変えれば、それは自分の手札になる。
私の暫定的な答えはこうだ。オフィスに行くこと自体に、良いも悪いもない。そこは「選べない入力をまとめて浴びる場所」だというのが本質で、そこから益を取りに行き、害を情報として淡々と処理できるなら、出社は十分にいい。逆に、雑音に感情を持っていかれて終わるだけなら、その日は家にいたほうがいい。
出社か在宅かを固定で決めるより、今日の自分にはどちらの入力が必要か、で選ぶ。たぶんそれが、いちばん損をしない。